父が亡くなって。

2014年11月22日、父:和紀が永眠いたしました。
生前、お世話になったみなさまには、深く御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。
 
また、詳細のご報告をできていなかった皆さま、
一部、仕事でご迷惑をおかけしてしまった皆さま、誠に申し訳ありませんでした。
 
そもそもブログにこんな私事を書くことも、また、
久しぶりのブログがこんな内容で良いのだろうかとも思ったのですが、
亡くなった今の気持ちを忘れず、また、深い学びとして前向きに突っ走るためにも、
ブログに向かってみることにしてみました。
 

 

経緯

昨年、2013年9月の話し。
父は、両親も祖父母も曽祖父母すらもそれなりに長寿で、自身もそれまでの人生では一度も大きな病や、毎年の人間ドックでも引っかかったことがなかったが、「下部胆管がん」という病に冒された。まさに寝耳に水、本当に家族全員で悲壮感にひたったなぁ・・・信頼できる素晴らしいお医者様にも巡りあい、私自身もとにかく治療法を研究し、最善と思われるアプローチは重ねることができたと思う。まだこの時点では近隣臓器や近くの膵臓などへの転移も認められなかった(見えなかった)こともあり、「膵頭十二指腸切除術」という難度の高い手術をおこない、それ自体は無事に成功。ここまでは病院サイドの多大な協力もあり、スピード感も含めて良かったのではないかと思う。
 
しかしそれから半年後、リンパ節・腹膜への転移が発覚した。
この時点で、現代医療の力では打ち手がなくなることがわかっていたので、私の中では、これ以上の治療はできないとわかった。詰んでしまった。絶望的な気持ちになりながらも冷静に、あとは、母や妹にいつどうやって伝えるべきか、そして当人にもいかにして後悔のない余生をQOL高く送ってもらうかという方針に切り替えたのです。
 
※余談
あまりにも根拠レスなひどい「余命延びるビジネス」が腐るほどあることを知った。名指しはしないが、不幸に漬け込むようなビジネスがこれほどまでに多いことにはがっかりした。患者も患者の家族もまったく冷静な精神状態にはないが、どこまでも冷静に情報を見る必要があった。
 
 
結果的に、それからの半年間は特にたくさん旅行へいき、夜や週末は実家でのんびりしたり、
ドライブへ行ったり、美味しい食事をしにいったり、カフェへ行ったり、
仕事がライフワークだった父は、仕事にも引き続き行っていた。
痛みをコントロールしながら、様々なことがたくさんできました。
父は前向きに、人生を謳歌していた。毎日が輝いていました。
 
思い出深いのは、まるでドラマのような妹の「サプライズ結婚式@軽井沢」です。
結婚していたが、出産などでドタバタしていたため結婚式をあげていなかった妹が、一生懸命に準備し、父にはすべてを秘密にし、フォレスターナで結婚式を挙げたのです。メルカリでドレスを買って(4,000円。w)、スニーカーでバージンロードを歩いた花嫁はなかなかいないと思う。笑 最後まですべてをサポートしてくれた妹の旦那のまさくんには、感謝してもしきれない。
 
 
サプライズ結婚式@軽井沢
▲バージンロードを歩く父娘。写真撮影といって騙してスーツを着させる。本当に喜んでくれた。
 
 
そして、その転移宣告から約半年間が経ち、11月22日眠るように亡くなった。
良い夫婦の日に亡くなるなんて、最後まで粋な父親だなぁと思うのでした。
 
最後、家族三人が自宅で一緒に看取ってやることができたのは、本当に本当に良かった。
宣告から1年以上も猶予があったので、父が亡くなることへの心の準備はできていたのか、精神的なダメージは少なかったかもしれない。しかし、悲しい出来事であることには変わりはなかった。
 
 

後悔について

比較的、父とはよく会っていたし、闘病生活前から仲も良かった。よく会っていた。
そういう意味では、濃い関係だったので、猛烈に後悔するようなことは少ない。
でも、ゼロかといえば嘘になります。やり残したこともたくさんある。
 
・もっと二人で飲みにいけばよかった
・もっと仕事の話をしてみたかった(父は先輩経営者でもあった・・
・旅行に定期的に連れていってあげればよかった
・ゴルフに行くことが叶わなかった。
・麻雀を一緒にすることも叶わなかった。
・私の孫は見せてやることができなかった。(姪っ子が居てよかった。
・もっと贈り物もしてあげたかった。
 
などなど、もちろんたくさんのことが湧き出てくる。
まぁ58歳と若くして亡くなった以上は、半分以上は仕方ないのかもしれません。
(できなかったことについては、母に二倍返しで戻してやろうと思っています・・・!)
 
 

死から学んだこと

言葉に落としてみると今まで何度とも聞いたことがある話なんですが、体験はいつも見聞を超えるわけで、本当にたくさんのことを(語弊はあるかもしれませんが)学ぶことができました。その中でも、特に3つのことをこれからの人生で大切にしたいと思ったし、それが父の死を無駄にせず、最良の供養になるだろうと思っていること。
 
 

1)命を大切にする

「命はいただきものであり、自分のものにあらず。」ということです。
 
命はまずもって両親から頂いたもので、その後もずっと家族、仲間、社会などによって支えられているものなので、命を大切に扱う義務があると感じることができたのですね。正直言って、父の生活習慣などは全く他人に誇れるものではなく、語弊はあるけれど命を粗末に扱っていた節はあった。タバコを吸う、お酒を大量&毎日欠かさず飲む、運動はたまのゴルフ以外ほとんどしない、仕事で休息を取らないことなど。本人にもよく伝えていたけれど、もっと本気で腹を割って伝えなかった私の責任でもある。
 
もっともっと、頂いた命を大切にすることを生活習慣として意識すべきであると思いました。
 
今回の死によって、すべては「家族、仲間、社会から支えられている命であり、命は自分だけの物ではない。」ということに気がついたのが、とてもとても大きな気付きでした。自分の命を大切にしない人はすなわち、人を大切にしていない状態なのだと。病魔に冒されればまわりにかならず迷惑がかかるわけなので、最低限の予防策は自らが実施し続けるべきだと感じました。
※一方で自ら防げない病も多くあるため「自分のせいでまわりに迷惑がかかる」というのは語弊はある。
※タバコやお酒を飲むことを真っ向否定するものではなくて、節度を守ることの重要性の話しです。
 
 
こんなこともよく考えれば、頭ではなんか分かっていたし、理解してました。
でも、こう体験してみると初めて腹の底に落ちるものでした。
 
授かった命は、大切にしよう。
 
 

2)一日を生き抜くこと

これもよくいう話しなんですよね・・Jobsさんです。
「今日が人生最後の日と思って生きているか?」
ということなんですが、これを本当に痛感しました。
 
これまでもそう思うこともあるけど、手を抜いてしまう日も多々あった。
それどころか「いやいや、毎日思うなんて無理だろ。」と、心のどこかでは思っていた気がする。
多分ですが、ほとんどの人がそうなんじゃないかと思います。僕もそうでした。
 
でも、父が癌と判明してから、不思議と毎日が輝いているような気持ちになりました。
「もしかすると、今日が父と最後の二人飲みになるかもしれない。」
「今回が最後の旅行になるかもしれない」「最後の朝食になるかもしれない」
「家で会えるのは最後かもしれない」「お見舞いに来られるのも最後かもしれない」
 
など。
 
この「毎日が最後」という表現それ自体は、なんだかネガティブに聞こえるかもしれませんが、後悔しないように全力を尽くすので、「最高に輝く時間」になるんです。父は、病気が判明してからというもの一日一日が全力だった。悔いがないように全力で生きていた。仕事も、遊びも、家族でのんびりする時間も、その一日一日のすべてがかけがえのない時間だったことに、気がつけたのです。
 
だから僕は、妥協を一切せず毎日を本気で歩んでいくことを、とにかく「一日」を本気で生き抜いていくことを、これからの人生ではずっと大切にしようと思いました。仕事も遊びもリラックスする時間をも、常に本気で歩んでいきたいと思うのです。
 
 

3)感謝について

これもまた正直言ってよく聞く、月並みな話しな気がしますが・・・。
「自分が思っているよりも遥かに、人からはたくさんの価値を頂いている」という話です。
 
自分の両親が亡くなる時、人は、どんな感情が込み上がってくるかわかりませんでした。
今回、亡くなって一番最初に出てきた言葉が「ありがとう」だったのですね。
とにかく「ありがとう」という気持ちが、止めどなく溢れてきた。
 
悲しくて悲しくてしょうがなくなるのかと思ったのですが、
それよりももう数十倍も、「感謝」しかなかったんです。
悲しくて涙が出るというよりも、今までの感謝に嬉しくて涙が出る感じです。
 
父が私を育ててくれたこと、たくさん遊びに連れて行ってくれたこと、 
勉強をたくさん教えてくれたこと、パソコンをかなり早くから教えてくれたこと、
留学に行かせてくれたこと、父が創業直後のお金ない時期にも私立の学校に通わせてくれたこと、
バカなことを教えてくれたこと、飲みに連れていってくれたこと、遊んだこと・・・etc
 
これまでも感謝なんかたくさんしていたし、恩返しもしているつもりだった。でも、父が生きているときに思っていたよりも、亡くなってから気がつく感謝が本当に大きかった。つまり、これまで思っていた感謝のレベルというのは全然次元が低くて、本当の感謝の気持ちが心底溢れかえってきたのです。
 
何が言いたいかというと、冒頭の、
「自分が思っているよりも遥かに、人からはたくさんの価値を頂いている」ということです。
それは、もちろん両親に対しても、家族にも、仲間にも、社会からもそうです。
 
普段生活していると様々なことに文句ばかり出たり、感謝を忘れたりするわけですが、
「実は頂いているなにか」をきちんと見極めて、感謝を忘れずに生きていこうと誓うと同時に、
その感謝に相応した恩返しをできているのか? という点も、常に理解すべきです。
 
仕事も、家族も、仲間にも、感謝して行動で返していこうと誓いました。
 
 

おわりに

これらは、父の死という体験のおかげでより深く理解ができたことです。
 
本当に悲しいイベントですし、死ぬというイベントなんて無いほうが良いです。本当は。
人生はなんて儚いのだろうと、人生自体への疑問もたくさん出てきました。
20歳の頃に失恋した時以来に、「人生のリセットボタン」も探したくなりましたよね。(笑)
 
でも、それ以上に、人生の素晴らしさもたくさん感じることができましたし、
死(おわり)があるからこそ、完成する。突っ走れるものだとも思うようになれました。
 
だからとにかく、
1)与えられた命を、これからは今まで以上に大切に扱い、
2)一日一日を手を抜かず、本気で生き抜いていき、
3)忘れてしまいがちな頂きものにも感謝し、それ以上の価値を返すこと。
 
この、学んだ3つを亡き父に誓って、これからは行動していきます。
あらゆるリスクをテイクし、毎日を本気で行動していこうと思います。
思い切り会社も成長させ、家族や仲間を幸せにし、人生を謳歌します。
(いやしかし、そうは言っても明日死ぬかもしれませんがね・・・。) 
 
 
ということで、大変長くなりましたがここまでお読み頂きありがとうございました。
これからもどうぞ、色々あるかと思いますが、よろしくお願いします!
 
 

最後に父へ

今まで本当にありがとう。心から感謝しています。
一番の心配は母のことかと思いますが、ご安心を。
残された家族みんなで、かならず幸せにします。
 
さて、大好きだったインターネットは、
天国でも繋がっているのでしょうか?笑
 
 
合掌。
 
 
孝哉